とりがい謙二の活動報告

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桜井勝延南相馬市長から震災被害や復旧・復興の現状をお聞きました

市役所での調査後、同市南部の原発20キロ圏内の立入禁止となっている警戒区域を大谷(おおがい)和夫市長公室長の案内で視察しました。圃場整備した田畑は約70センチ沈下して市全体では耕地の32%、2700haが被害を受け、現場は入り江か池かと見紛うほどでその大きさに驚くばかりでした。また民家も流失破壊されていましたが、警戒区域のため撤去もできないままに放置されているとのことです。小高地区の駅通りは4軒に1軒が瓦解するというひどさで人通りが全くない市街地で信号機だけが作動する不気味で不思議な光景でした。(写真左:冠水した田畑、写真右:駅通りの撤去できない崩壊家屋)

大津波に原発が追い打ちをかけている現実の一方で、原因が明確にされない中での再稼働を主張する経団連などの財界や学会、一部マスコミなどの動きを決して許してはならないと感じました。(写真左:警察官が立つ立入禁止の警戒区域)
夜は、宮崎県から南相馬市にある相双建設事務所、相双農林事務所に派遣されている二人の宮崎県職員と交流しました。二人とも被災地のために何とか役に立ちたいと志願したとのことで頼もしく感じました。

彼らは「徹底的に人が不足している。もっと役に立ちたいと警戒区域での作業も望むもプロパーのみとなっているのが歯がゆい。工事積算の方法が違いが分かったが、今後他県との交流人事も必要ではないか。各県から派遣されている職員と交流することがあるが、みんな地元に愛着を持っていて、特に長崎はすごい。家族の同意があってここに来れたわけで家族に感謝している。除染作業でやくざがは入ってきているので注意してくださいと職場で話があるが、早く帰れた時に風呂で刺青をいれた人と会い吃驚した。」などと現地の状況を聞かせてくれました。二人ともがんばってください。

2012-2-7-3
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∈井勝延南相馬市長から震災被害や復旧・復興の現状をお聞きました

南相馬市役所で桜井勝延市長にお会いして、震災被害や復旧・復興の現状についてお聞きました。「‥市は、20キロ圏内の警戒区域、30キロ圏内の計画的避難区域・緊急時避難区域、30キロ圏外と3つに区分されたが、市には全く連絡がなかった。∈鯒3月末は7万人の人口が1万人程度まで落ち込んだが、9月に緊急時避難区域が解除され、今市民は4万人程度まで回復している。苦しくても市役所機能を移さなかったことが幸いしたと思っている。小中学生なども半分近くが帰ってきた。戻れない理由は放射線除染がまだ進んでいないからと思われる。市立病院(230床)は、一時12名いた常勤医師が4名まで減少したが10名にまで回復しほっとしている。現在120名の入院は可能となったが、その他の病院は入院を止めたところもあり、医師確保は大きな課題だ。」と南相馬市の現状まだまだ厳しいと話しておられました。(写真:南相馬市役所で桜井市長と)

また、「原発の影響で家族はバラバラとなった。市議会は脱原発宣言を行い、市は原発に係る電源立地等初期対策交付金相当分などは申請しない。将来的にも住民を脅かす原発は認めないことを明確にした。汚染ガレキについては、低線量分については鎮魂の意味を込め防波堤に埋め込みたい。また職員の早期退職が止まらなく困っている。自身の被害と市民からの苦情の板挟みなっており、精神的なケアとバックアップ体制を国で示して欲しい。除染の費用が嵩み新年度予算は平年の3倍程度となる見込みだ。中間施設の設置が未定で仮置きもままならず、また農産物への風評被害大きい。いづれにしても今年中に警戒区域が解除されると思われるので、今年1年が勝負の年になる。」と決意を述べておられました。その様子はテレビで見る精悍そうな顔つきそのものでした。

市長との約40分程度の懇談の後、大谷市長公室長と渡部総務企画部次長から南相馬市復興計画を説明していただきました。お話を聞きながらこのトップにこの部下ありと思い、南相馬は必ず復興するとの想いを強くしました。市役所での調査終了後、雨のため予定されていた除染の視察が中止され警戒区域を視察することになりました。   

2012-2-7-2
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〆井勝延南相馬市長から震災被害や復旧・復興の現状をお聞きました

11時過ぎに福島駅に到着。いや早い早い、東京から300キロだが東北新幹線で1時間30分ですからすごいです。今朝9時前にホテルを出て新橋駅までは徒歩でしたが、雨脚が強く10分の近場なのにかなり濡れました。途中、やはり傘をさして職場に急ぐサラリーマンと遭遇、その人数の多さにもびっくりです。山手線で東京駅で新幹線に乗り換えましたが、ゆっくりする暇もなく到着と言う感じでした。単線である日豊本線の遅さを思い浮かべ、やはり差別されているのだなと感じます。

到着して直ぐ福島駅からタクシーで南相馬市に向かいました。運転手さんは「震災の時は大変だったが、最近は少し落ち着いてきた」と話していました。福島市内の渡利地区を通って現地へ向かいましたが、渡利地区は特に放射線が高く除洗のモデル地区とのことでした。

福島県は、海側の浜通り、福島市のある中通り、山側の会津地方から成り立っていて、つまり中通りから山道を通って浜通りに向かうことになるわけです。国道114号線等を通りいわば山越えするわけで、途中川俣町にはいると玄関先や道ばたに雪かきされた雪がきれいにまとめられていました。
県道12号線、国道399号線を通過、道路の両側に赤と白のまだらのポールが側溝の位置を教えていました。途中の飯舘村は放射線が高く今でも全村避難となっていました。回り道して貰った役場には、全村民が留守不在となっているため盗難などが多発し職員が交代で役場に詰めて見回りなどを行っているとのことで灯りが点いていました。「きれいな町なんですけどね」と言う運転手さんの言葉が胸に響きます。役場前の村の標識は雪の中に立っていました。更迭された大臣が言っていた「死の町」という言葉が現実としてそこにありました。(写真:飯舘村役場前、庁舎内に灯りが見える)

「原発は絶対安全だ」と言って推進してきた電力会社などの財界や政府、官僚、民主党や自民党などの政党、学会、マスコミは、この現実をどう捉えているのでしょうか。この責任をどうとられたのでしょうか。いまだ、だれも責任らしきものを明確にしないまま経済が大変になるからと言って原発を再稼働して良いのでしょうか。国民の一人一人が問われています。

2012-2-7-1
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