講演要旨
 1999年12月1日から3日まで超党派の国会議員訪朝団長として始めて訪問した。対朝鮮関係を振り返ると、

1950年、朝鮮戦争が起き南と北に分かれた。
1989年、竹下総理大臣は私の質問に答えて「過去の経緯について遺憾の意を表し」始めて朝鮮民主主義共和国と正式国名で答弁した。
1990年、金丸訪朝団では拉致問題もありうまくいかなかった。
1994年、村山内閣時代にナポリサミットでクリントンアメリカ大統領と2時間会談した。
北朝鮮の核問題について聞かれ「各保有に反対だ、隣国であり2000年の交流の歴史があり一衣帯水の関係で近くて近くて近い国になるのが国民の総意である」と答えた。
1998年、北朝鮮から招待状がきたので自・公・民に声をかけ99年6月に予定したが食糧支援が条件との声が間接的に聞こえてきたので訪問を保留した。

1999年、11月に朝鮮総連を通じてキムヨンスンから招請状がきたため各党に正式に要請した。過去の失敗も考慮して訪朝団の目的を「日朝の窓口を開いて政府間の交渉が円滑に進めることで」合意した。政府と政党の役割は違うということだ。日朝間の相違を知ることも大きな意義がある。朝鮮半島情勢はペリー報告でも明らかなようにアメリカの関心は核とミサイルの問題だ。極東米軍10万人体制で北朝鮮の核保有により均衡が崩れることは絶対に避けるための対応。
      @北朝鮮は崩壊しないので金正日と交渉する。
       A南と北の戦争は絶対に避けるべきだ。南北戦争が勃発すれば60万人の死者と100万人の難民がでる。
       BKEDOによる軽水炉の建設等、日米韓協力の枠組みは守る。

 1998年、12月韓国を訪問し金大中大統領と会談。金大統領は時間がもったいない    
と上手な日本語で韓国の対北韓3原則を説明した。@どんな挑発にも惑わされない。A北韓に害を及ぼしたり韓国に吸収はしない。B太陽政策。
以前は、南と北は異常な緊張関係にあった。金大統領に和解への条件づくりのためどんなことでもやって欲しい。
 1999年、10月中国の国慶節に招かれ唐外相と話す機会があった。「中国は現状の安定」を望んでいた。
 
       テポドン発射に対して日本の対応はチャーター便の禁止やKEDOへの出資凍結、食糧援助や政府間交渉の停止は何の意味も無い。過剰反応だ。
米・中・ロシア・韓国は交渉を進めている。

 訪朝団の交渉相手は金容淳氏で主な議題は、@過去の清算問題、A人道上の問題(拉致疑惑、日本人妻)、B核ミサイルの問題である。@については、賠償すべきとの考えだが、今は補償という言葉に変わっている。今後、政府間交渉で日朝の考え方の違いをどう埋めるかだ。
@拉致問題については敵視政策ではないかと北朝鮮は敏感に反応する。金大中事件は拉致ではないかと指摘する。行方不明者ならどこの国にもあるので調査するとの考えだ。拉致問題は難しい問題だが、拉致問題が交渉の前提であれば問題は解決しない。
Aミサイル問題、人口衛星なのに何故批判するのか。アメリカのミサイルには恐怖は無いのかという姿勢だ。
B日本人妻の里帰り問題は国籍問題が絡む。北朝鮮に行くとき国籍を変えたものは認めないという外務省の考えで中断した。しかし、再開されるだろう。
Cその他、食糧問題は5〜6年で自給できるようになると思う。今は100万トン位不足しており、本当に困っている。又、電力不足もあり夜間は暗いし工場の操業率も低い。
 
 1999年、12月予備会談が始まった。北朝鮮はこれまで3回約束をしたが実行されていないと不信感を持っているが、日朝関係を正常化したいという積極的な意欲を感じた。
 南北首脳会談は唐突ではあったが、画期的なもので歴史的だ。歴史は逆戻りはできない。
 歴史的会談の背景は、@金正日体制が確立されたということ。そのための準備が済んだ。
           A食糧・電力が足りない。B金正日が中国の改革開放政策を評中
国の支持を取り付けた。イタリアやオーストラリアと国交樹立。

 南北会談の合意事項@統一問題は自主的解決を図る。A南の連合と北の連邦制。B8月15日に離散家族の相互訪問を実施する。C相互信頼。D当局の対話の開始。

日本の立場と責任@冷戦構造崩壊後も分断が続いている唯一つの国でアジアに世界に緊張を強いている。過去の清算を行い北東アジアの緊張緩和に責任がある。日本が歴史を教えていないことが問題だ。それはアメリカの占領政策であり、岸が復権し首相にまでなった。歴史認識のずれがある。足を踏んだものは忘れるが踏まれたものは忘れない。
           率直に言えることは悪いことは悪いということが大切だ。